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分かち合う都市から分かち合う世界へ

Adam Parsons
2015年2月7日

コミュニティ内または地方自治体全体で、資源の分かち合いの有益な側面に異議を唱える人は僅かですが、分かち合いの経済の現在の形態は不公正なパワー構造に挑戦し、より良い世界への道を整えることができるムーブメントを代表するのでしょうか。

このブログは もともとShareableに掲載された以下のアーティクルに基づいています:分かち合いの経済:その政治的進化へのイントロダクション


分かち合いの経済がメディアと公衆からの増大する注目を浴びると同時に、価値ある論議がその総体的な重要性および未来の方向性の周りに出現し始めています。特に、断続する経済的落ち込み、緊縮財政政策および環境的懸念に直面し、今後、出現する資源の分かち合いパラダイムが拡大しさらに活躍し始めることは確かです。経済の崩壊および地球の濫用の結果、徹底的な変革が必要とされることをおおよそ誰もが認識しています。そして、アメリカンドリームの古いアイデアは、2050年までに96億人に達するかもしれない世界人口を持って、消費され続ける世界においてもはや維持され得ません。

従ってさらなる人々が、過去数十年間を特徴付ける物質主義的態度を退け、所有権や目立った消費でなくむしろ連結や分かち合いに基づく違った生活様式に徐々に移り動いています。「さらに分かち合って多くを所有しない」が、Y世代やミレニアルズとして知られる、現代テクノロジーに精通した年代の今日の若者によって先導された、豊かな社会における態度のなかに、認識可能な変化の根底にある倫理です。

しかしながら、人口増加、環境劣化および食料安全保障などの最も切迫した世界問題に関して、分かち合いが何を達成できるかということの大きなビジョンについてもまた、多くの分かち合いの開拓者は公言しています。 例えば、A2Shareのライアン・ゴーリーのライアン・ゴーリーが断定するように、分かち合いの経済を取り入れる都市ネットワークは、Sharing Regions Network(分かち合う地域ネットワーク)、次いで Sharing Nations(分かち合う国々)、そして最終的にSharing World(分かち合う世界)へと拡大することが可能です:「グローバルにネットワークが連結した分かち合いの経済は、人類と地球を完全に変革してしまう、全く新しいパラダイムとなるでしょう」。このような観点から、21世紀の深刻なチャレンジを充足するのに十分な社会的および経済的変革をもたらすために、分かち合いの可能性を研究することは私たち全員の義務なのです。
 

分かち合いについての論議の二つの側面

コミュニティ内または地方自治体全体で、資源の分かち合いの有益な側面について同意しない人は僅かであり得ますが、分かち合いの経済ムーブメントが、どのように公平で持続可能な世界に貢献できるかについてのより幅広いビジョンを取り巻く議論もあります。現代都市で急成長する分かち合いの経済のトレンドの多くの提唱者にとってそれは、カウチサーフィン、カーシェアリングまたはツールライブラリー以上のものであり、資本主義の個人主義的および物質主義的な仮説を途絶させる可能性を握ってさえいます。他の支持者は分かち合いの経済を、地球の自然の限界内での広範に渡る繁栄への道として、そしてより地方化した経済と平等主義的社会への不可欠な第一ステップとして考えます。

しかし、分かち合いの経済に参加することは、少なくともその既存の形態および実践において、消費主導型経済および個人主義の文化に実際にチャレンジできる政治的行動です。分かち合いの傘下での新たな投機事業の急増は、「新技術と新たな機会に対する無限の調整を断続する需要と供給」以外何ものでもないということ、そして分かち合いの経済のコンセプトが完全に商業的勢力によって吸収されているということを − それは、カーシェアリングの開拓者、Zipcarが、確立されたレンタル会社Avisによって買収された時、刺激された議論であり − 様々な解説者が議論しています。

op-edファイナンシャル・タイムズのオプ・エドを書いた著者エフゲニー・モロゾフは、分かち合いの経済は、平等性に対して有害な影響をおよぼしており、そして市場理論に完全に服従している基本的労働条件は、利益を優先して人間関係に価値を与えることから程遠く、優勢な経済モデルの最悪な行き過ぎを増幅さえしているとまで語っています。
 

全体的な変革への道としての分かち合い

これらの分極化した見解を和解させることが不可能にもかかわらず、出現する分かち合いのムーブメントが今後どの方向に進むだろうかを疑問視する的確な理由があります。ジャネル・オルシや ジュリエット・ショアのような、分かち合いの経済の著名な支持者が認識するように、それは、機会や楽観すべき理由だけでなく、落とし穴や懸念をも提供します。一方でそれは、自分たちの価値観と「市民vs消費者」としての社会的アイデンティティの拡大する転換を反映し、そして有限の資源、恥ずべき浪費および富の莫大な格差の世界での所有権や繁栄の概念を、私たちが再考することを促進します。

もう一方では、現在の形態の分かち合いの経済が不公正なパワー構造にチャレンジを提起しているかどうか、または、世界をより良い場所とするために必要な根本的変革のようなものを代表する、国民運動を扇動しているかどうかを評論家が問うことは当然なのです。より大きな公平性およびより良い生活の質へと経済を向け直す代わりに、リチャード・ウィルキンソン、ハーマン・ダリー、ティム・ジャクソンやアンドリュー・シムズなどの著者によって提案されるているように、ピアツーピア・ネットワークを通して多くの既存の分かち合いの形態が、従来のビジネス活動によって腐敗させられる危険にあるということには議論の余地があります。

これは決して不可避な結末ではありませんが、経済的分かち合いが人権と、そして公平性、民主主義、社会正義および環境管理への懸念に関係して促進されない限り、分かち合いが世界の相互関連した危機に取り組むことのできる新パラダイムだという様々な主張には何の確証もないのです。

地方の分かち合いからグローバルな分かち合いへ

もし私たちが、公正な持続可能性のレンズを通して分かち合いを考えるなら、多くの人々やShareableのようなグルーブが始めているように、国内および国家間で資源を分かち合う真の可能性は莫大で包括的です:公平性の強化、コニュニティ再建、福利の向上、国家および世界のガバナンスの民主化、グローバル・コモンズの保護と促進、そして現段階の競争の激しい新自由主義的グロバリゼーションに取って代わる、より協力的な国際的枠組みへの道を示すことさえをもたらします。

勿論、私たちはまだそこまで辿りついていません。そして、経済的分かち合いについての一般的な理解は、個人間またはオンライン事業投機を通しての、もっと個人的形態の与える行為や交換に明らかに集中しています。しかし、国内で公共インフラ、政治的権力および経済資源を分かち合うことにおいて、政府の役割を包括するためにこのテーマが現在拡張されている事実は、急成長する分かち合いムーブメントが正しい方向に動いているという明るい兆候です。

後進国の最貧困者にとって資源の分かち合いが何を意味するのか、そして高所得国での経済的分かち合いの復活が、収束する危機への解決策としてどう世界的に広げられ得るかについて、既に疑問が湧いています。惑星規模の経済的分かち合いのアイデアが − 差し迫った生態学的大惨事についての認識、命を脅かす極端な不平等、そして天然資源を巡って激化する紛争によって駆り立てられた − すべてのディナーパーティーと食卓での会話の話題となるまで長くはないかもしれません。
 

Photo credit: Gwenaël Piaser, flickr creative commons