以下は、今年9月25日から27日までの間、ポルトガルで開催された第17回ベーシックインカム・アースネットワーク(BIEN)会議に平行して、ビクトリア・ゲイターとソニア・シャーンドルによって提出された報告概要である。
STWRはモハメッド・メスバヒによって2003年に創始された、国連経済社会理事会(ECOSOC)の協議資格を持つロンドン・ベースの市民社会グループです。私たちは、リサーチと活動を通して、現在政府が対処出来ていない広範に渡る相互連結した危機 − 飢餓、貧困、気候変動、環境劣化及び世界の天然資源を巡る紛争など − への実際的な解決策として、分かち合いの原理を世界情勢に融合させることの正当性を主張します。また、グローバルな最優先事項として、命を脅かす剥奪と貧困関連の死を防ぐための国際緊急援助プログラムを提唱します。
今回のプレゼンテーションのテーマの主点は、すべての国のすべての人々の基本的権利としてベーシックインカムを実現することの展望です。よって私たちのアプローチは基本的に、経済システムに組み込まれた構造的な不正義によってもたらされた、前述の深く複雑で相互関連した全危機にグローバルな展望からどう取り組めるかに関係しています。個人や集団として自己の世界に対する考え方をどう変える必要があるか、そして世界で必要とされる変革を起こすために、大規模な市民社会参加がどう必要とされるかについてここで話します。政府は散々私たちを失望させて来ました。前述のすべての危機は全般的に激化しているため、持続性のあるどのような解決策も善意の一般人である私たち全員からのものでなければなりません。選択肢は他に何もないのです。
本来生命はひとつであり、身近及び遠方の両方で感じられるかもしれない断片化と分離にかかわらず、人類はひとつの分割不可能な完全体であると知ることを背景に、世界情勢に取り組みむことを私たちは望みます。この「一体性」の概念は、生態学の分野によって提示された複雑で入り込んだ蜘蛛の巣のような生命から、生物学的研究や量子物理学によって得られた結論まで、多くの科学調査分野において裏付けされています。霊的思想に共感する人々にとっては、太古の霊的教えの多くもまた、生命の一体性、不可分性、そして相互連結を指摘しています。
30条から構成される世界人権宣言は、1948年に国連総会によって導入され、そしてすべての政府によって署名されました。しかしそれは未だ世界の市民の大部分に完全に保証されていません。第25章にはこう記されています:
1.すべての人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他の不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。
2.母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。
さらに読み進む前に、どのように結束した人類として生きるかということの中心に、分かち合いと協力を持って第25条が真に実現された公正で持続可能な世界を、しばらくの間想像して下さい。万人が十分な食糧、住居、医療を持ち、金銭的心配から自由になり、皆の基本的ニーズが充足されたことを想像して下さい。それがどういう風であるか、人々がどのように違った時間の過ごし方をしているかもしれないかなど考えてみて下さい。現在酷い貧困にある何千万人という人々が初めて感じる希望を想像して下さい。それがどのように私たちお互いの関係を変革し得るかということを想像して下さい。
残念ながら今日の現実の世界は、この希望に溢れたビジョンから大変異なります。では、どのように私たちはこの時点に達したのでしょうか?私たちはどのようにして人々の苦しみにこのように無頓着で無関心になり、そしてそれにより彼らの苦しみを存続させているのでしょうか?なぜなら、私たちの一体性を認識し、その認識を社会経済構造に植え付けるよりむしろ、 − 異なる宗教、政党、人種的アイデンティティなどに反映される分裂的感覚によってさらに深刻化される、私たちが創造した全構造を浸透するテーマである − 集団的な利己主義、貪欲、競争及び国家主義によって煽られた、歴代を通しての幻惑的な、お互いからの分裂感の中で私たちは生きて来たのです。
それに加えて、過去何十年かに渡って、私たち全員がある程度その創造において共犯者である、蔓延する商業化のプロセスは、私たち全員の間の分割を深め続け国家内外におけるあからさまな富の不平等さを深めています。世界中で起こっている多くの分割と紛争が存在します。その全てが第3次大戦へと激化する可能性を持っています − 例え今回そのような戦争は、核兵器をもたらし地球のすべての生命を破壊し得るにもかかわらず。
この包括的展望から現在の教育システムは、私たちを、組み立てラインにのった「良い消費者」へと効果的に変換しており、そして私たちの生活のおおよそすべての側面は、利益を上げることに向けられたすべての中で、商品化され商業化されてしまったようです。この心理的に深く植え付けられた全体的な商業化プロセスは、増大する不平等や悲惨な貧困、及び慢性的飢餓に苦しむ7千9百50万人の人々、そして飢えや栄養不良あるいは貧困関係から死んで行く約2万1千人を生じさせている、増大する不平等、悲惨な極貧だけでなく、激化し続ける貴重な資源の乱用と無駄、環境破壊、気候変動、干害及びその他の自然災害をもたらしています。
実に、前例のない飢餓のレベル、そしてイエメン、南スーダン、ナイジェリア、及びソマリアのような多数の国々における飢饉の可能性を持って、世界が経験したことのない最大の食料安全保障危機を私たちは経験しています。
世界はまた、干害、紛争及び貧困が原因で、住むところを追われた6千5百万人以上の人々を持って、第二次世界大戦以来最大の難民危機を目撃しています。正式には、113人に一人が現在戻るところがありません。この苦しみの純然たるレベルと巨大さを、私たちの意識内で理解することは困難です。世界中のこれらの人々の貧困及び苦しみを軽減するための援助がいかに僅かであるかということを、私たちは理解していないようです。少なくとも70%の世界人口が、福祉や社会的保障のどのような形態にもアクセスを持ちません。あなたの子供が急性栄養失調で苦しむ姿、あるいは飢えから死に果てる姿を目前にすることの苦悩を想像することは容易ではありません。お腹を空かせた子供たちをなだめるために、小石を煮ることによって食べ物が用意されているのだと彼らに思わせるメキシコの貧しい母親たちの話などは、世界の多くの人々の苦境についての絶望的な光景を思い起こさせます。
増大するフードバンクの利用、そして上昇するホームレスの数を何倍も上回る空き家数についての数々の報告にもかかわらず、富裕国における苦しみもまた増大しています。貧困者、失業者、病人や障害者の生活を保障するために確立された社会福祉システムは、多くの場合、より厳しく残酷になり、そして多くの先進国で国の管理は民営企業に任されてしまっています。
世界中で歴代の政府は、拡大する危機に対処出来なかっただけでなく、社会、経済及び政治情勢の中で市場勢力の影響が蔓延ることをますます許して来ました。権力の座にあるいわゆる「良い教育を受けた」人々は、地球と人々の生活を直接的または間接的に破壊しており、一点集中する危機のすべてを深めています。人類は岐路に立っており、切迫した選択に直面しています − 政府が(現在の人口過剰にかかわらず、もしもっと平等に分配されるなら万人に行き渡るのに十分な)世界資源を分かち合うために協力するか、あるいは、もし気候変動について科学者が言うことを信じるなら、短い時間枠でもはや取り返しがつかなくなるであろう同じ分裂と破壊の道を進み続けるかのどちらかです。明らかに、政府が突然現実に目覚めることがないことを考慮すると、どのような選択が私たちに残されているのでしょうか。私たちが想像していた公正で持続可能な世界に、どのようにして現地点から辿り着けるのでしょうか。
これらの危機的な世界問題の状況においてユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)への要求は、私たちの時代の最も重要なソーシャルムーブメントであり、万人に経済的保障を提供する可能性のある一つの方法として、世界中でますます増大する数のグループによって話し合われています。この提案は、前述した多くの危機 − 特に、社会福祉、貧困及び不平等の危機 − を乗り超えることを助ける可能性を持つ政策手段として多くの人に受け入れられており、そして実に、多くの環境的正当性さえあります。
STWRでは、世界全体で真の(UBI)の構想が実現され得る以前に、国際緊急プログラム及び世界経済構造の大規模な再建築を提唱した、「北と南:生存のための戦略」というタイトルの1980年のブラント委員会報告のビジョンに類似した、世界資源の大規模な再分配に政府が第一に全力を投球せねばならないことを論議します。世界規模のUBI構想の実現と世界資源の分かち合いの重要性の繋がりは過小評価されるべきではありません。簡単に言うと、食糧、医薬品、製造品だけでなく技術、知識、人材及び制度能力、そして基礎資材及び必需品のすべてを含んだ、使用可能な余剰資源の目録を各国は作成せざるえないでしょう。極貧国・地域へのこれらの資源の大規模な輸送は、国連とその援助機関のグローバル・ネットワークを通して、あるいは4、5年間の緊急プログラムを監督する特定の目的で設定された新たな国連機関を通して、組織立てられねばなりません。ブラントのビジョンに沿って、この緊急プログラムは飢餓を根絶し、グローバル経済の長期的構造変革への道を整えることに成功し得るのです。
悲しくもそのようなビジョンは、真の国際協力と経済的分かち合いを通して万人のニーズを代表する兆候をまったく見せない、権力的な企業的及び経済的勢力に恩義を受け続ける今日の世界のリーダーの関心から遥かに遠いのです。従って、結束した要求を持って世界の一般人を駆り立てることを通してのみ政府間で結び付き、この目標に向かって取り組むことに優先事項を転換するよう彼らは納得させられるでしょう。その時もはや彼らは、自分たちのエリート的な国益のために何が最良かという観点からだけではなく、世界全体としての共益について考えねばならないでしょう。
緊急プログラムを通しての第25条実現へのグローバル・コールが、UBIへの要求の代わりになるとここで提案しているのではありません − 双方が同じように重要です。しかし、それをまかなえる一定の国々の中だけで実施される部分的なベーシックインカムだけでは、私たちが達成しようとしている持続的な効果を得ることはなさそうです。多くの国々が既に、一般的に成功結果を持って小さな予備計画を導入していますが、真に多国間基盤でのユニバーサル・ベーシクインカムを組織化するどころか、 − 今のところ、すべての国民のための憲法上の権利として完全なUBIの構想を確立することに献身する政府はありません。
恐らくそのようなビジョンは、もはや商業化がグローバル政策を支持することのない、そして共益のために国々が協力し合う、より安定した世界に可能性があるかもしれませんが、世界状況がますます不確実で変動しやすいこの時点で、それは明らかに現実からかけ離れています。いつでも何かが起こり得、経済部門は特に不安定です。世界中の著名な経済学者は、次の経済破綻がもし起こったらという問題ではなく、いつ起こるのかという問題だと言っています。もし彼らが正しいなら、それは前回のものよりずっと大きなものになり、多くの国々に大損害を与えるでしょう。もしそれが起こったら、それでも政府が真のベーシックインカムを考慮するとあなたは本当に考えますか。確実にそのアイデアは一瞬にして提案から外され、そして人々の苦境は今一度忘れ去られるでしょう。しかし前述のように、もし第25条を要求するグローバル・ムーブメントが既に、緊急プログラムに同意するよう政府に影響を与えていたなら、それは大変異なった状況となっていたでしょう。
第25条を守備よく実現することの意味合いは、政府が、利益を目的とした大企業に優先して、一般庶民のニーズを充足するよう義務付けられることにより多岐に渡るでしょう。起こり得る社会的・経済的変革の幾つかの例は、モハメッド・メスバヒが彼の著書「世界人権宣言第25条:人々の世界変革のための戦略」の中で浮き彫りにしています。それは下記を含みます:
- 命を脅かす貧困及び飢餓の根絶 − もし私たちの優先事項が食糧と必需品を最も貧困化した世界の地域に再分配することなら。an end to land grabs
- 土地グラブの廃絶
- 食糧投機そして市場価格を操作するための食糧の溜め込みや破壊の廃止
- 公共サービスの商業化の廃財源を向け押すための軍事費の大幅削減と並行して軍事活動の段階的縮小
- 6、70年間の迅速な人口増加の根底にある要因は貧困であることがよく知られているように、人口レベルは最終的に減少し安定し得る。
- より公平な貿易ルール
- 債務の帳消し
- タックスヘイブンの廃絶
- さらに多義にわたる意味合いを持って、緊急プログラムを通して強まる北と南の協力。特に政府間の協力は、意味のある、二酸化炭素排出削減のための法的に拘束力のあるターゲットにおける、国際合意もたらす展望を生むかもしれません。
「私たちは多数派で、彼らは少数派」または「少数派のためではなく多数派のために」などの言いまわしを、様々な革新派グループから私たちはしばしば耳にして来ました。より公正で持続可能な世界への要求を聞き入れ代表しているようである、アメリカのバーニー・サンダースやイギリスのジェレミー・コービンのような人々は、一般人の支援がなかったなら、あそこまで成功していなかったでしょう。従って、もし世界中の何千万人という人々が集まり一つの思想を支持するなら、それがどのような効果を生むだろうか想像出来ますか。第25条の人権を保障しUBIを実現するという相互関係する目標は双方が、結束的かつ変革的なアイデアです。第25条は社会経済権利の非常にシンプルな声明であり、非常に理解し易いため、自分たちは政治から切り離されていると感じているかもしれない、あるいは、危機に瀕したの問題の数と複雑さに圧倒されているかもしれない、幅広い一般人層にアピールすることが可能です。
結束力のあるスローガン、目標及びビジョンとして、第25条は富裕層も貧困層も一様に結束させることが出来ます。どこに住もうと、どのような境遇であろうと、これら基本的なものへのアクセスを万人が持つべきでないと、誰が議論出来るでしょうか。見捨てられたスラムや村で酷い貧困の中に住む人々には、オキュパイ・ムーブメントが何なのか、あるいはアラブの春が何だったかさえ理解出来ないかもしれませんが、第25条やベーシックインカムの概念は理解出来るでしょう。それにもかかわらず世界中での第25条の完全な実現は、その他多くの問題を解決する鍵であり、そしてそれは抵抗最小限の道なのです。事実、それに埋め込まれているのは、歴史を通して現在に至るまでの世界の活動家たちのすべての要求です。それは、政府に、世界資源を再分配しグローバル経済を再建築させることへの最も確実なルートなのです。
しかしそれは可能でしょうか?迅速に異国へ広がったオキュパイやニュイ・デブのような最近の活動家のムーブメントを私たちは目にして来ました。それらは十分に長い間維持されず、そしてそれゆえ望まれた結果を達成しなかったにもかかわらず、続行する抗議デモは、例えば、イギリスで女性の投票を勝ち取った女性参政権運動やアメリカの人公民権運動などのように、もしそれが十分に長い間持続されるなら、成功出来るということが歴史的に証明されています。2014年に制作された「ウイ・アー・メニー」というタイトルの映画は、成功するためには1日だけでなく断続的である必要があるという多くの評論家に指摘された、2003年の世界中でのイラク戦争反対デモについて探求しています。
STWRは、なぜ唯一断続した大衆デモだけが最終目標を達成するのかについてのより明瞭な理解を読者が得られるように、前述された著書「世界人権宣言第25条」を出版しました。この本は、「他の人々はどうなるのか?」ということを問う認識あるマインドと慈悲的ハートを持った、一般の人々をグローバル・レベルで結びつけることによってのみ、政府の優先事項を転換させることが出来るのだということの正当性を論議しています。
国内の問題のために政治家に対してロビー活動をすることだけでは、決して十分ではないでしょう。第25条とUBIの為に止むことなくデモをする何千万人という人々が必要とされます − そしてそれが荒野の野火のようになるまで、口火となる小さな何かが、世界中で多くのそのようなデモを誘発することが出来るのです。世界の誰もが理解出来るシンプルで善意ある目標に基づいた、これまでにないそのような真にグローバルな抗議デモを、私たちは心に描くのです。すべての国で一斉に、無限の数の人々の参加の上に築かれる行動主義及び運動への新たなアプローチを代表し、それらのデモは巨大な規模で限りなく断続せねばなりません。
結論として、今日私たちは多くのグローバルな問題に直面しており、そしてそれらの問題は同様にグローバルな解決策を必要とします。私たちは、良い方にも悪い方にも世界を迅速に変革出来る全技術を所持しています。それにもかかわらず、自分たちのために正しいことをしてもらおうと政府に頼り続けることによって、公衆の大部分が周りの苦しみに対して無頓着になってしまっています。しかしもし私たちが、一人の人間の苦しみは自己の苦しみであり、私たちはお互いから分割され得ないのだということを、実際、真に理解出来るなら、私たちはもっと違った行動をとっているでしょう。
この世界は相互連結した生命体であり、もしその一部が病んでいるなら、その止んだ部分は最終的に残りの世界に広がるでしょう。これは、最近の大規模な難民移動とヨーロッパへの貧困化した経済移民に大変明瞭に見られます。私たちはひとつの人類家族であるゆえ、最も貧しい人々に起こることはまた、私たちにも影響を及ぼします。従って、ひとつの人類として私たちは行動し始めねばなりません − 私たちは単に、活動を地域レベルだけに制限することは出来ません。従って、西洋諸国における私たちの特権的な権利のためにだけ戦うのではなく、日々飢餓から死んで行く、忘れ去られた私たちの兄弟姉妹全員のためにも共に戦いましょう。そして彼らの苦境を決定的に根絶させましょう。彼らの人生で初の希望を与えてあげましょう。
参考文献:
Share The World's Resources at the BIEN Congress in Lisbon, Portugal in September 2017
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