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21世紀のためのクリスマスと感謝祭

Rok Kralj
2019年12月18日

クリスマスと感謝祭を真に祝うことは、飢餓、貧困、不正義および環境危機という世界の問題に私たちのハートを開くことを意味します。私たちが住む社会の悲惨な苦境を理解するなら、ついで私たちもまた問題の一部であることが明らかなはずだとロック・クラリゥは記します。 


毎年11月と12月のいわゆるホリデーシーズンの間、私たちは抑えのきかない消費主義の状態に突入します。感謝祭とクリスマスという通常とは異なるホリデーによってこの期間が特徴づけられるとはいえ、寛大さと無私の愛というその基本的なメッセージは完全に失われています。消費主義のニセの煌めきを通して、私たちはこれらのメッセージをまったく反対のものにしてしまいました。自己に偽るのはやめましょう。なぜなら現実には、極度の我欲とあからさまな物質主義を私たちは祀り立てているからです。そして私たちが住む世界がグローバル化されていることから、これら集団的な人間の傾向もまた事実上グローバル化されているのです。

「あなたと私は、私たちが世界の問題の原因だと非難するシステム自体を構成しています。私たちがクリスマスにイエスの名のもと弱った地球からショッピング街で消費という略奪を行う時、それはあからさまに実証されます」:モハメッド・メスバヒは彼のユニークな発表文献「クリスマスとシステムと私」のなかで書いています。消費主義的、新自由主義的または資本主義的と呼ばれるシステムを多くの人が激しく非難しますが、彼が言うように「『システム』などというものは存在せず、過ぎゆく日々において、世界情勢を変えるためになにもしないという偏狭で自己満足的な生き方のなかで、あなたと私だけが存在するのです」

私たちがシステムです − 犠牲者ぶるのはやめよう!

世界の状況について責められるべき私たちの外の「システム」など存在しないのですが、私たちが共同でそのシステムを形成していることを認識するのは実際には痛ましいことです。なぜなら、自分たちの習慣、そして私たちが嫌うシステムを集団で形成している小さな自分と奮闘する代わりに、なにもしないことがもっと楽だからです。腐敗した政治家たちが不当に国家を統治していると私たちが抗議する時でさえ、私たちはそれでもまだよその誰かを非難し、自分たちの住む世界への個人的責任から逃れているのです。

しかしその一方で、実際に私たち全員がシステム(グローバル、国家、経済、事業、地方そして家族やその他どのようなレベルでも)を形成することを認めることは解放感を与えてくれます。なぜなら、もし私たちが本当にそう望むなら、このシステムを変えることができるのは私たちだからです。無力な犠牲者でいる代わりに、私たちの人生と社会状況を改善する活動的実行者になるのです。クリスマスは、この現実を直視し、日常の活動と習慣を通して世界の危機的問題を自分たちがどう維持し肥やしているかを認識するのに良い機会です。

消費者ホリデー

北アメリカの人々は、1年のこの時期をクリスマスホリデーシーズンと呼びます。しかし、グローバル・ヴィレッジと時々呼ばれる今日の世界では、本当は「消費者ホリデー」と呼ばれるべきです。この時期は、今日の物質主義独特のシンボルをもって始まります –  独身の日 – それは、11月11日に中国で祝われます(11/11が選ばれたのは、数字の1が独り身を象徴するからです)。それは、西洋のバレンタインデーに対抗して、自分や他人に小さなプレゼントをあげ始めた何人かの中国の生徒によって始められました。

しかし彼らのアイデアはすぐに中国のオンライントレーディングジャイアント、アリババに乗っ取られ、2019年のたった1日でプレゼントの売り上げから3千80億ドルの収益が上げられました。独身の日は実際には、そのお祭り騒ぎにかかわらず、私たちが経験する孤独さと消費者の我欲を象徴しているのかもしれません。

アメリカだけでおよそ1兆ドル

11月の第4木曜日に主に北アメリカで祝われる、主要な祝祭日である感謝祭の次の日にはブラック・フライデーの超消費イベントが続きます(その収益によって赤字が黒字に変わる日)。この大規模なショッピング・イベントは今、典型的にサイバー・マンデーへと延長されています。そしてすぐその後、私たちの大きな惑星的ホリデー、クリスマスとニューイヤーが続きます。このグローバル化されたクリスマスホリデーシーズンにおいて、西半球のおよそ全員がそして途上国の豊かな地域においても同様に祝祭日を完全に消費主義的方法で祝います。アメリカだけで2018年のホリデーシーズンの間の小売支出総額はおよそ1兆ドルでした。

これが環境にとってどんな重荷となり得るのかということは、オンライン売上の急速な成長のため(特に祝祭のシーズンにおいて)、2018年を通して最高870億ものパッケージが世界中に発送されたという事実から想像され得ます。メスバヒが記しているように、「私たちのうちなん人がリサイクルし、環境的価値を強く主張し、そしてその後12月25日がやってくる時、倫理のすべてに別れを告げるのでしょうか。費用がいくらかかろうが祝わねばならないのですから」

祝祭日の商業化

私たちが膨大な量の世界資源を無駄にすると同時に多くの人が苦しんでいる一方で(少なくとも人間の最も基本的な必要性 – 食料を、8億2000万人がもちません)、この気違いじみた過剰消費および物質主義の時期を代表するこれらふたつの祝祭日を詳しく見てみましょう。

まず、感謝祭は豊作のために神々に感謝した無数のコミュニティの古代の伝統に由来しており、特に北米人は先住民が新世界への最初の新参者に提供した助けを祝います。感謝祭のメッセージは神の豊かな恵みへの感謝の気持ちであり(あるいは現代では地球の豊かな恵みへの感謝)、私たちが困っている時に助けてくれる人々への感謝の気持ちです。しかし今日、感謝祭は完全に違った精神で祝われます – 過剰なご馳走(アメリカ人はその1日で4500万羽もの七面鳥を消費します)、色とりどりのパレードや半狂乱のショッピング、特にブラック·フライデーやサイバー·マンデーなどを通して行われます。

サンドブロムがやった!

クリスマスホリデーのシンボルはサンタクロースになってしまっています。元々彼は伝説的人物で、貧困者に寛大なプレゼントを提供したことで有名だった4世紀のギリシャのキリスト教司教ミーラです。ウィキペディアによると;「サン·ニコラスからの訪問という詩が匿名で発表された後、現代のサンタクロースのアイデアが基準になったようである」とあります。しかし今日の「偏在する」サンタの画像は、漫画家ハドン·サンドブロムが、コカコーラ社の季節の広告キャンペーンのために描写し、そして無数の映画、漫画、コマーシャル、ミュージカル·ヒット、ポスター、その他のなかで広げられたクリスマスの現代商業イメージをつくった、1930年代に生まれました。今日、サンタクロースは疑いなく最も知られた商業ブランドのひとつであり、(今、文字通りこの惑星を破壊している)私たちの横行する物質主義と天然資源の馬鹿げた無駄な消費のシンボルになっています。

12月の礼拝の時「それはクリスマスではありません」と断言し、子供たちはキリストの誕生の祝いを「赤い服を着た太ったおじさん」と混合させるべきでないと主張したアルゼンチンの大司教ファブリチャーノ・シガンパの声明を恐らく私たちは思いだすべきでしょう。

慈悲と愛の祝祭日

これは、「私たちがこの伝統をもっと謙虚に、そしてお互いと地球に対して愛をもって続ける限り」私たちがクリスマスのお祝いをやめるべきだという意味ではないとメスバヒは記しています。もし私たちが「食べ物、飲み物、プレゼント、そして笑いにしか関心がなく、重大な世界の問題が無視されるかたわら、イエス、貧困または正義についてふれさえしないなら」確かに私たちはクリスマスホリデーの深淵なメッセージに達することはできないのです。まさに、困っている人々と私たちの資源を分かち合うべきであるように、アメリカ先住民は彼らの物資と所有物を新参者と分かち合いました。感謝祭とクリスマスは、ご馳走、パレード、パーティー、ショッピングイベント以上のものなのです。

感謝祭とクリスマスを真に祝うことは、飢餓、貧困、不正義および環境危機の世界問題に私たちのハートを開くことを意味します。もし私たちが生活する社会の悲惨な苦境を本当に理解するなら、ひいては自分たちもまた問題の一部であることは明らかなはずです。事実、感謝祭とクリスマスの時期に絶頂に達する過度な消費をもって、私たちは共同で貧困と不正義をつくりだしているのです。

しかし、自分たちの祝祭日を祝う態度を私たちは変えることができるのです。メスバヒは記しています:「家族と友人の間で正しい人間関係を実践するための機会としてクリスマスの日をありのまま使いましょう。そして私たちが時を共にする束の間の休暇の間、お互いに奉仕することにより行動で愛を実証しましょう。それは、彼の名のもと実践されたどのような儀式よりイエスを心に抱くことに私たちを近づけます。これが特に子供たちに多大な影響を与え、私たち皆の、キリストの簡素な教えの認識へ達する助けになろうことは疑いありません」

他人を思いやる − 本当のプレゼント

キリストの教えは根本的に大変シンプルです;それは愛、お互いの世話をすること、慈悲と謙虚さについて話します。しかし、これが21世紀において本当はなにを意味するのでしょうか?ひとつ確かなことは、多くのひとが自発的シンプルさと呼ぶ生活のあり方を取り入れるということです。そして、それは他人と地球を大事にするという意味です。どのようにして?老人ホームを訪ねたり;困っている人に与えたり;単に物を買う代わりに作ったり分かち合ったり;気を植えたり;車の代わりに公共交通機関や自転車を使ったり歩いたり;署名、直接行動、抗議デモ、その他の手段を通して政治的および経済的正義を要求できます。選択肢は無限にあるでしょう!

そして、より広範な政治的レベルでの正義を忘れないようにしましょう。特に、多くの方法で現代の世界の不正義、貧困、不平等および苦しみの殆どが永続されている、国際経済の政策立案の分野においては。最低限、生活必需品の国際的分かち合いを共に要求しましょう。モハメッド·メスバヒが言います:「今年、キリストの誕生を祝うため自由と正義の旗のもとで結束し、世界中の飢餓と貧困をなくすために平和的デモンストレーションをするより他に良い方法があるでしょうか」

だから、結束、愛、正しい人間関係の真の意味を記念するために、違った方法でクリスマスと感謝祭を祝いましょう!


推薦図書:クリスマスとシステムと私 モハメッド·ソフィアン·メスバヒ著

このロック・クラリゥによるアーティクルはもともとNavdihni.me (https://navdihni.me/bozic-in-zahvalni-dan-za-21-stoletje/) にスロベニア語で発表されたものです。

Image credit: cocoparisienne, Pixabay

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