アメリカ人活動家への手紙
アメリカ合衆国が今日の低迷と混乱の深みに沈み込んでしまった原因は何でしょうか。この国は自由、正義、民主主義の理想に基づいて設立されましたが、ますます道を踏み外しこれらの崇高な概念を劣化させてきました。「世界を啓発する自由の女神」は実際には、頭を下げて壊れた足鎖を組み直し燃え立つトーチを手放すべきなのでしょうか? おそらくそれらの足鎖は、奴隷制と抑圧の終わりではなく、非常に物質主義的で分裂的な社会に顕現するアメリカンドリームの醜く幻惑的なアイデアを象徴しているのかもしれません。
私たちのほとんどがアメリカンドリームの追求に内在する危険性を認識しないのはなぜでしょうか?成功して豊かで幸せになりたいという願望の観点から、一般的にその意味を誰もが理解しています。しかし、この夢がどのようにアメリカの人々を誤り導き、あの偉大な国の真の価値をますます低下させてきたかということを省みる人はほとんどいません。それは実に、もともとあの大陸に合法的に住んでいた先住民の人々から強奪することによって構築された夢です。それは、ますます激化する商業化の道を通しての利益の追求を正当化する夢であり - 裕福で社会的に優位な生活様式を欲するアメリカの願望を満たすために必要な基盤なのです。アメリカンドリームは商業化に連れ去られたのではなく、その始まりから商業化に常に奔放に与えられていたのです。そしてその過程で「自由の地」は、市場勢力のイデオロギーの主要な支持者となってそれを容赦なく世界中に輸出することによって広範な社会的混乱をもたらし国際緊張を高めてきました。
内面的または心理的観点からアメリカンドリームは、他者に与える影響を顧みることなく常に捉えどころのない幸福を探求することにおいて、大変多くの人々を富と成功の追求へと導くという点で、有害な利己主義的概念として実際は認識されるべきです。それは、商業化勢力が私たちを操作し誤り導くための非常に効果的な道具を提供する、何百万人もの若者がとらわれ続ける大きな嘘なのです。「偉い人(成功者)」になりたい、もっと裕福になりたい、さらにおそらくは、有名そして有力になりたいという強い願望の中で、私たちのパーソナリティが貪欲と無関心に影響され、必然的に感情的聡明さが抑制されるようになるまでそれほど時間はかからないのです。内部で知覚されるなら、貪欲はそれだけでも、私たちをハートの現実とその属性から切り離し、他者の苦しみや幸福に対して無関心になるよう私たちに徐々に影響を与えます。私たちが名声や業績によって裕福になり成功することを望んでいなくても、アメリカンドリームの社会的条件付けは、私たちの個人的幸福の偏狭で物欲的そして利己的な追求を通じて、私たちの人生の目的を歪めます。私たちが次のように疑問を問うことはめったにありません:では、成功しなかった人たちはどうなるのでしょうか?競争できないということは、彼らにはアメリカに住む権利がないことを意味するのでしょうか?
アメリカンドリームによってひどく条件付けられている人は、70億人の人々の相互関連した生活の霊的現実でなく唯一自分自身しか見ることのできない思考的盲目の一形態にさらされています。周りで無数の人々が最も剥奪された絶望的状況の中で生活しているときでさえ、彼らが自分たち自身を愛国心の強いアメリカ人だと呼ぶことを誇りに思うほど、彼らの愛は多くの場合あまりに打ち砕かれています。この有害な条件付けはまた、子供たちがアメリカが世界で最も重要な国であるという考えを持って成長することに拍車をかけ、貧しい国の人々が経験する極度の貧困と苦難をほとんど認識することなく成人期に入るよう導きます。アメリカに住む人々にとって、アフリカが世界地図のどこにあるのかまったくわからないことは珍しいことではありません。彼らがアメリカの外交政策が遠方の地域の無数の罪のない人々にとってどれほど壊滅的であるかを考えることがないことは、言うまでもありません。
「アメリカンドリーム」は、悲しいことに、人類の一体性と相互依存の現実を認識することから歴代を通して一般のアメリカ人を誤り導いてきたため、そのフレーズ自体が分裂的であり霊的現実から切り離されています。アメリカンドリームが辞書でどのように定義されていようと、霊的または道徳的な観点から、過去数世紀から今日に至って証明されてきたように、それは常に分裂と不正に関連付けられます。それは実際に、霊的熱望を無意識に仄かに帯びただけの独特の自己中心的なアイデアなのです - なぜなら、真に霊的なビジョンによって鼓舞されていたとしたらそれは、「ワン・ヒューマニティ・ドリーム」以外の何ものでもなかっただろうからです。結果として、アメリカンドリームは常にコモンズの最高の理想;つまり、全体としての人類の共通善からそれ自体を切り離してきました。[1]
アメリカの人々が自分たちの生活様式に適合して世界の問題に心を閉ざすことができるなら、自分たちの国と生活様式を愛するのは当然です。しかし、アメリカンドリームの個人的な繁栄と幸福は、今日の地球を悩ませているすべての危機と大規模な不正に照らすと、もはや現実と接点がありません。アメリカが残りの世界に両腕を広げることができないでいるかたわら、「アメリカ合衆国への忠誠心の宣誓」を毎朝繰り返し続けることはこの点で、実際には偏狭で無意味な行為です。あなたは、一方の手を胸にあてアメリカ合衆国の国旗に向かって忠誠を誓うかたわら、アメリカ人だけでなく世界のすべての人が自由と正義の権利を持つことを宣言する「世界人権宣言」の写しをもう一方の手で握ることを想像できますか?アメリカが世界の資源の大部分を溜め込み浪費する一方で、何百万もの人々が飢餓と貧困から毎年不必要に死んでいる事実を知ることはどのように感じられるでしょうか。
合衆国全体の魂を象徴する真のアメリカンドリームは、他国との協力によって世界を助け高揚させるものです。それは、世代を経て結晶化し社会主義及び共産主義の形態の対極として存在するアメリカンドリームの古い考えとは大きく異なります。真の崇高な概念は包括的であっても排他的であるはずがないにもかかわらず、資本主義国家及び共産主義国家はそれぞれ平等と公共の福祉のビジョンを実現する代わりに、巨大な規模で人権を侵害し広範な世界的紛争を扇動してきました。これらのイデオロギーが二度にわたる世界大戦の前後で引き起こしたすべての痛みと苦しみにもかかわらず、共通善のための犠牲と協力的な分かち合いの必要な教訓を習得した大国はありません。世界を平和と繁栄に導くという役割をいまだ大統領が信奉するアメリカの独特なケースにおいては、国家安全保障をもっともらしく偽装した激しい自己利益の追求によって、逆方向に進むことが継続的に選択されてきました。
アメリカは人道的目的のために海外援助に多大な貢献をしてきたと主張する人もいるかもしれません。しかしアメリカは不当な貿易や違法な戦争を通じて他国を搾取し、それによって引き起こされた苦しみを緩和するために、不正な手段で得た利益のごく一部を寄付することによって実際には世界の偽の慈善家の役を演じるのです。そして、アメリカで何百万人という国民が政府によって悲劇的にも無視されていると同時に貧困国や困窮する海外の国々を助けるために何十億ドルもが提供されているとき、その援助は完全な偽善を表しているのです。アメリカはデトロイトの貧困者や社会的に排除された市民を見捨てる一方で、たとえばなぜ、最近東ヨーロッパのウクライナに10億ドルの援助金を提供したのでしょうか。[2] 明らかに答えは、連邦政府が主に国家の戦略的優位性と利益を得る機会のために機能しているからだということです。これは、アメリカンドリームの古いアイデアと徐々に融合してきた商業化のゲームであり、今ではこの二つは殆ど同義語となっているのです。
あまりにも長い間アメリカは、利益と権力の世界的追求を維持するこの有害なイデオロギーに導かれ、そしてそれによって自称の道徳的価値感をほとんど考慮することなしに他国の生活を破壊してきました。何と言っても今日のアメリカの哀れな状態は、政治的リーダー及びビジネスリーダーが正しい人間関係の原理に基づいてより霊的な線に沿った完全な再教育を必要としていることを示しています。アメリカはコモンセンス、謙虚さ、慈悲が政府と社会の輝かしい特徴となるように、自国と世界に対する優先順位を徹底的に変える必要があります。それでも、権力者のほとんどが商業化勢力に支配されているこのとき、このシンプルな真実を述べることさえがファンタジーのごとく聞こえ、基本的な道徳的及び霊的価値のある議論をおよそ夢想であるかのようにしてしまうのです。
アメリカが根本的に方向転換しない限り、まもなく暴動、暴力、そしてあらゆる種類の社会的激変がますます起こるであろう暗くて危険な路地に、ここしばらく迷い込んでいくでしょう。これが、アメリカ全土に長い間はびこってきた神経症、憎悪、犯罪のすべてに証明されているように、個人主義的かつ分裂的な進歩のアイデアを追い続けることの副産物なのです。米国の政治プロセスはますます腐敗し利益志向となっていますが、国の債務は明らかに返済不可能です - したがって、今後必然的に金融危機の最終段階に突入するでしょう。そして、環境破滅や貧困国の搾取においてどれだけの犠牲を払ってでも贅沢なレベルの個人的富と物質的快適さを達成するという権利を、誇りを持って信じるよう今なお国民を仕込んでいる国にとって見通しは悲惨です。アメリカの生活様式をいつまでも維持していく見通しが不条理となった今、全国の多くの市民たちが計り知れない不吉な予感の中で問い始めています:「指導者たちが無駄に約束した希望はどうなったのか。間もなくしたら、私たちにはどのような運命が待っているのだろう」
最も必要なときに国民を助けるどころか戦争から利益を上げて企業の利益を守る政府の政策に対して、アメリカ全土の善意の人々が一斉に立ち上がり平和的に抗議せねばならないことは間違いありません。たとえば、財政破綻したデトロイトを今誰が救済するのでしょうか。国の収入及びリソースの多くを奪う国防総省か、それともCIAでしょうか。アメリカは、虐待され放置された子供たちが最終的に家を出て自分たち自身の面倒を見ることをやむなくさせた、機能不全の家族のようになってしまいました。同様に、ワシントン州政府は、子供たち全員、すなわち、50の州の世話を怠っている親のようです。デトロイトのような州の多くが経済崩壊と同時に間もなく危機に陥るかもしれません。そして、これらの州の多くが、最終的にワシントンを完全に放棄することは避けられないのではないでしょうか。なぜなら、デトロイトをつくったのはデトロイトの人々であり、ニューオリンズをつくったのはニューオリンズの人々であり - ワシントンがつくったのではないからです。
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2011年に全米に広がった大衆デモは、たとえ意識的にでなくても、どれだけの聡明な若者がアメリカンドリームとそれが象徴するすべてに飽き飽きしているかということを明らかにしました。そして、平和的抗議で人々が一体となってデモ行進を行うという行為は、実際には愛と成熟性、そして聡明さの表現です。愛には最も真の意味での自由があります - それは、アメリカのより深淵な偉大さを何年もの間損傷させてきた古いもの、不正、大規模な窃盗、腐敗からの自由です。いわゆるアメリカの生活様式への偽のプライドに固執するのではなく街頭に立って自由、民主主義、正義の本当の意味を支持する人々をアメリカ人は当然のこと誇りに思うべきです。
オキュパイ運動の抗議者の多くは、アメリカンドリームがどのように国全体を惑わせ分割し、そして世界舞台でアメリカに下劣な評判を与えたかをコモンセンスを通して認識しています。彼らは自由の女神のてっぺんに立って、象徴的にトーチに火を灯しているべき国の真の英雄です。大企業や私腹を肥やす政治家たちに絶えず自由意志を操作されるのではなく、成熟性と責任を持って生きることを望んでいるのは彼らです。私たちが誠実に、とらわれることなく今の瞬間を自由に生きることを許す代わりに、アメリカンドリームの背後に潜んで何を考え何をすべきかを指示することによって、私たちの注意を逸らすことを容赦なく試みる商業化勢力を非難するのは彼らです。もちろん、見当違いのプライドを持ってアメリカンドリームをいまだ強く信じる大勢の人々は、戸惑いと誤解の中でズッコティ公園のテントを傍観し、抗議者たちがアメリカの生活様式を裏切っているとさえ感じました。しかし、アメリカのすべての人々が自問しなければならないときがきています:その生活様式の意味は何なのか?そして、それは私たちをどこへ導いているのか?
政府と警察はそれらのテントを公共エリアから排除したと信じているかもしれませんが、アメリカの若者のハートに宿っているすべてのテントは排除できないということを理解していません。政治家たちがテントが戻らないと信じるならそれは深刻な間違いです。なぜなら、そのテントの数はすでにハートからハートへと、静かに、そして徐々に何倍にも膨れ上がっているからです。現時点では何も起きていないように見えるかもしれませんが、遅かれ早かれ都市公園に野営地が1つだけでなく、全国のあらゆるところにテントが絶えず出現し急増することは予見できます。
おそらく警察が、正義が実際に何を意味するのか、そして法と秩序の意味が何であるのかを自問しなければならないときが来ています。彼らは司法省内に社会動乱の政治的原因を研究するための特別機関を設置し、政府に有害な政策と間違った優先順位を通して動乱の原因を作り出すことをやめるようおそらくは言うべきです。なぜなら、政府が混乱と不正を生み出しているなら、それ自体が秩序を取り戻し正義を支持するよう警察に求めることはできないからです。街頭に立つ多くの人々は慈悲深く聡明であり、彼らが愛を持って真の意味での正義のデモンストレーションを行うために家を出発するとき、それは理にかなっているのでしょうか?したがって警察は、そのような善意で果敢にデモ行進をしている同胞の市民を逮捕しいじめ続けるべきなのか、それとも、彼らは政府に注目を向けて言うべきなのでしょうか:もう沢山です!私たちは人間であり機械ではありません。私たちはもはやあなた方の腐敗した命令に従って私たちの同胞に立ち向かうことはしません!
当面のところ、商業化の支配的な法律が私たちの街と街の広場からそれらのテントと抗議を一掃していますが、私たちが自分自身を注意深く見るなら、地球規模のテントが私たちの意識内で振動し始めていることがわかります。私たち全員が共同の試みにおいてこの地球規模のテントを組み立て始め、最終的にそのドームを中から見上げるなら世界中のすべての人間の顔が反射するのが見えるよう構築しましょう。アメリカの若者たちよ、非暴力的抗議の全国的な波が最終的に地球規模で広がるまで、すべての州で止むことのないデモンストレーションを組織することにより道を示すことは君たちにかかっているのです。
正しい人間関係に基づいた公正で持続可能な社会を求めるすべてのグループは、変革への共通のビジョンを構造化するには時間がかかるという事実を念頭に置いて迅速に集結すべきです。これらのデモ行進や座り込みにはリーダーシップや明確な要求が欠けているとテレビで話すスーツ姿の専門家に落胆させられるべきではありません。それらの自己満足的で無頓着な批評家のほとんどは、今日のアメリカの若者のハートとマインドに何が起こっているのかおよびもつかないのです。そして、商業化勢力は、常に私たちを圧倒しあちこちへ引っ張る強力な磁石のようであるため、正義と自由への包括的な呼びかけを始めは構造化できないことが予想されます。したがって、新しい政策や制度上の取り決めに対する正式な要求を通じてあなた方の呼びかけをどのように構造化するかについて心配する代わりに、創造的なデモンストレーションを根気よく続けて世界中の人々が参加するよう鼓舞してください。
私たちの努力を統一することで、分かち合いの原理が社会で私たちの愛の表現を構造化するためのマスターキーであることに私たちはすぐに気づくかもしれません。この過小評価された原理の最も重要な属性の一つは、自由と喜びの中で人々を結びつけるということです。これは、世界中の多くの都市における近年の自発的な抗議運動で(一時的にであろうと)美しく実現されました。一体感と歓喜に溢れるセレブレーションの中でのこれらの巨大な政治的デモは、過去のすべての「主義」と商業化の分裂的な害悪とは対照的でした。近代史を通して見られた多くの暴力的な革命と比較して、非常に新しい何かが起きていることが感じられます。そして、その新しい要素とは、統一されたグループ形成の中でハートが話しそれ自身を自由に表現するのを単に許すことによって、ハートを一斉に解放するということです。
マインドの知的内容を空にしてハートの理解を通じて世界を見るなら、私たちが最初に目にするのは不正ではなく単に愛の欠如です。実に、あらゆる面で不正義の表現をもたらすのは政治的統一体における愛の表現の欠如です。そして、それがなぜ、分かち合いの原理がそんなに想像を絶するほどの力を持っているのかという理由です。アメリカの若者は、これまで自由が愛と分かち合いなくして存在したことがなく、また決して存在しないであろうことを知らねばなりません。今日私たちは、あまりに複雑で商業化された社会に住んでいるため愛さえが、傷ついた悲しい無意味な言葉となってしまいました。それでも私たち全員が、世界の資源をより公平に分かち合うことができさえするなら、私たちの生活は非常に歓喜に溢れた創造的なものとなり得るのです。
したがって政治経済学及び日常生活との関係から、分かち合いの意味について考える時間を持つことは必要不可欠です。なぜなら、分かち合いは、正義のある健全で持続可能な生活の表現への最も忠実なガイドだからです。私たちは社会主義、共産主義、またはその他の政治的主義について話しているのではありません;政府によって社会経済政策の中で実現されるなら、私たちの病んだ社会を最終的に癒し世界の多くの問題を解決することができる普遍的な原理について話しているのです。
結局のところ、私たち全員から奪われた愛と歓びのためでないなら、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。豊かな世界の中でお互いから私たちを分断している極度の貧困と富が理由でなければ、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。魂を抜かれたような日々の不安の中で、毎日が同じに感じられる非常に分極化され意気消沈した社会で絶えず私たちに降り注ぐイデオロギーと主義が理由でなければ、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。占拠運動は、政治を変革し経済を改革するだけでなく、生きる喜びを取り戻し私たちのハートを再び霊的に占拠するためにも始められたに違いありません。私たちは単に子供たちと未来世代のためだけに戦っているのか、それとも、私たち自身のためにもより良い何かを切望し戦っているのでしょうか? - 真の自己を抑圧する絶え間ないストレスとお金儲けから解放されて、連帯感と目的感を持って、毎日を新鮮に生きることをも私たちは欲しているのではないのでしょうか。
純粋に実際的な点から見ても、資本主義やシステムとの果てしない闘いに従事するよりも、政府に分かち合いの原理を実現するよう求める呼びかけを統一することが戦略的に有利です。若者は、反資本主義の立場をとるなら、私たちが商業化の毒牙にすぐさまかかることも知っておくべきです。システムは私たちが「反」や「主義」の思考態度を身につけることを欲しています。そして資本主義自体が、私たちの対立や敵意を栄養源とするとても賢く洗練された「主義」なのです。怒りを表現し不正の体系的な原因に反対する権利が私たちにはありますが、システムを守るために動員されている勢力があまりに圧倒的で、それが明らかに法律によって保護されているとき、システムと戦うことは無駄です。私たちがこれらの勢力と対立した途端に、これらはすぐに私たちを打倒し屈辱を与え、巧妙に暴力に押しやります。そして暴力はさらなる暴力を生み、それがまさに、システムがそれ自体を守り永続させるために欲するものなのです。
したがって、私たちはこの罠に陥らないように非常に注意する必要があり、企業化されたシステム自体に「対立」または「反対」することを考えることさえすべきではありません。代わりに、私たちは聡明なハートを通じて取り組むべきです。なぜなら、これが商業化勢力が潜入できない唯一の場所だからです。私たちを結びつけるのはハートであり、アイデア自体ではありません。なぜなら、一人の人間のハートの知恵の中には全人類の知恵があるからです。イデオロギーによって引き起こされた革命は、常にさらなる社会的分裂と暴力につながりますが、ハートを通じて始まる革命は、コモンセンス、一体感、分かち合い、そして包括的な愛に自然につながります。何百万人もの人々が集まり正義を達成するための手段として分かち合いを要求することで、最終的に権力層の政治家や警察さえが私たちに加勢することがあり得るのではないでしょうか。
ですから、過去のすべての主義や間違った教育から離れて、いつまでも街頭に集まり私たちのハートの切望を賢明にはっきりと伝えましょう。政府がそれ自体と経済を再構築するよう、社会主義、資本主義、あるいはその他の主義の名のもと要求するのではなく、真の私たち - つまり、尊厳、自由、平和の中で進化する、平等な権利を持って生まれた私たち人の名において要求しましょう。これが、アメリカと世界を変革するために必要な意識の転換であり、イデオロギーや自己利益についての考えがない場合にのみ起こり得るのです。
社会のすべての問題は日々深刻化しており、これまでのように生き続けることは不可能であることを私たちは知っています。利己的で物質主義的なやり方に私たちは飽き飽きしていて、その過ぎ去った時代に戻りたくありません。そしてその上、私たちにはそうできる余裕がもはやないのです。ですから、公正な資源の分かち合いを要求し、政治家が私たちを世間知らずと呼ぼうとも気に留めないことです。分かち合いへの呼びかけは、コモンセンスと分別がハートと融合したところに発するのを私たちは知っています。有害な商業化のゲームに準拠することをもはや拒否して、共に、新しい生き方、新しい世界、新しい制度のためにデモンストレーションを行いましょう。
同時に、アメリカの正義などというものはあらず、普遍的側面における正義があるだけだということを認識しましょう。そして、自由の概念は、アメリカだけを象徴するのでも、アメリカだけのものでもありません - あなたがどこにいようとそれは生命を象徴し、愛そのものに属するものなのです。それは常にそうであったし、これからもそうであり続けるでしょう。このように私たちの要求はアメリカの国益だけに限定されるべきではありません。それはオキュパイ運動が初めて出現したときの決定的な誤りでした。なぜ私たちは、分かち合い、自由、正義のビジョンを他国の兄弟姉妹のために支持しないのでしょうか。なぜ私たちは自分たちは世界の70億人の99%だと言わずに、アメリカの99%だと言うのでしょうか。私たちは憶えている限りすでに国事に集中してきましたが;今こそ、私たちが人類全体のニーズを受け入れるときです。平和的な抗議デモにくりだし、尊厳を持って私たち自身を高揚させ、他者への慈悲心と愛を通じて意識を地球規模に拡大するときがきたのです。
アメリカで起こっている問題は明らかに、世界の至る所で勃発している前例のない数の大衆抗議デモに反映されるように世界中で起こっています。私たちの共通の要求が真に国際的展望の正義と平等から発しているなら、他のグループが海外の都市でも同じことをしているのを見て私たちはより勇気付けられ、彼らもまた同様に、私たちの行動によって勇気付けられるでしょう。共に24時間体制でデモ参加を続けさらに多くの支持を得るためにお互いを誘発し合いましょう。これが、アメリカの若者たちがどのように世界の参加を鼓舞し、分かち合いへの要求が急速に世界規模で拡大できるのかということです:アメリカの3億人の99%ではなく、地球という家を私たちと分かち合う70億人の99%の懸念を支持するのです。
この理解から、私たちは世界人権宣言の第25条をスローガンとして導入すべきです。なぜならそれは、国内の蜂起を自然に構造化し、他国でデモへの道を照らすであろうからです。この尊ぶべき条項は次のように述べています:「すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保証を受ける権利を有する」。私たちが認識した明らかな理由から、これらの基本的権利がすべての人のために満たされている場所は世界のどこにもありません - その理由には、エリートの特権と商業化の利益を保護する法律や、国連の創設ビジョンを事実上放棄する国際競争の政治などが含まれます。アメリカの外交政策の秘密の策略は、他のすべての大国の利己的な地政学的戦略と並行して、世界の何百万人もの人々にとって第25条の暗黙の否定を表しています。それでもなお、米国政府が臆面もなく世界の正義と人権を支持していると公言する一方で、毎日4万人が飢餓と貧困の病気で不必要に死んでいます。[3] 彼らは私たちを馬鹿にしているのでしょうか。そして私たちは、この日々の大虐殺が続く間、沈黙し続けるのでしょうか?
したがって、私たちがひとつの人類の共通善と私たち自身を同一視するなら、世界のすべての人のハートとマインドを代表するスローガンとして第25条を支持するのは適切なことです。私たちは皆、平和を望み、正義を望み、清潔で安全な環境を望んでいます;しかし私たちが自分たちのために平和と正義を求める前に、豊かな世界における飢餓と極貧の冒涜が絶対的に撲滅されなければなりません。それは道徳と正義の問題であるだけでなく、聡明な戦略とコモンセンスの問題でもあります。私たちは何百年もの間、資本主義及びシステムと戦ってきましたが、それでも大多数の貧しい人々と排除された人々にとって状況はますます悪化する一方です。したがって、私たちの戦術を変えて斬新な社会変革のための普遍的アプローチとして第25条の要求を統一したとしても、失うものは何もありません。
これが社会と集合意識に与える高揚効果を過小評価することはできません。私たちは、連帯と結集した善意の絶え間ない世界的行動を通して極度の貧困の根絶を求める膨大な数の人々をかつて街頭で目撃したことがありません。アメリカの活動家が、このように分かち合いの原理に基づいて国内及び国際的な経済政策の両方を提唱したら何が起こるかを想像できますか?貧しい人々もこの急増する大衆運動に参加しそれを強化するであろうことから、ニューヨークシティがテントと不断のデモ活動で溢れかえるであろうことは確実です。さらに、アフリカやアジア、そして南アメリカに至るまで、他の大陸でも何億もの人々がこの呼びかけに耳を傾けるでしょう。なぜならそのとき、私たちは彼らの生活についても話しているからです。
ですから、これを私たちの断固とした呼びかけとしましょう:私たちが住むこの腐敗したシステムに「対立」する革命を扇動するのではありません。なぜなら、イデオロギーと主義の果てしない戦いの中に私たちの声が失われるとき、それはおそらく何も達成しないだろうからです。システムはどのような形であろうと残るのですから、最も緊急で重要なこと:つまり、すべての男女子供に基本的な社会的経済的権利を直ちに保証するという完全に包括的な要求を通じて、むしろシステムを変革すべきです。
私たちの政府が、優先順位を完全に並べ替えて世界資源を分かち合うために真の協力を通して他国と取り組むよう公衆の巨大な圧力によって駆り立てられさえするなら、これがどれほど簡単に達成できるかを想像してみてください。歴史がしばしば明らかにしているように、ほんの一握りの人々であっても、彼らが機が熟しつつある思想を持って適切なときに適切な場所にいるなら、信じられないほどの変革を起こすことができるのです。そして今こそ、世界を啓発する自由の女神に再び命を吹き込むときです。彼女が抗議してトーチを落とし、「第25条:真のアメリカンドリーム!」と書かれた巨大な旗を掲げるまで。
奮い立て、アメリカよ、奮い立て!
光へ向かって僕の希望を高揚させたテントと占拠者たちが懐かしい。
君たちは皆どこにいるのか。
君たちの痛みと熱望が今でも感じられる。
夜の熱の中に君たちの声が今でも聞こえる。
君たちの顔、歓喜、新しい生活への呼びかけが懐かしい。
君たち皆が懐かしい。
君たちは皆どこにいるのか。
君たちが全世界の希望だということを、わかってくれさえするならば。
注釈
[1] cf. モハメッド・ソフィアン・メスバヒ、人類のコモンズ、Share The World's Resources, 2017。
[2] ウクライナの例は、大規模な抗議と当時の大統領ヴィクトル・ヤヌコビッチの暴力的な排除をもたらした地域全体の危機に続く2014年の執筆の時点で関連があった。この政治的紛争はウクライナの親欧米政府を支援することに長年の関心を持っていた米国や他のヨーロッパの大国によって操作されていた。米国のデトロイトについての言及も重要だった。なぜなら同じ時期にデトロイトは米国史上最大の地方自治体の破産を起こしたからだった。その頃デトロイト市はその主要な経済的及び人口統計学的衰退、深刻な都市の衰退、広範囲にわたる貧困(米国の71の都市すべての中で比例的に最も高い)で有名だった。
[3] この数字は疑わしいほど大きく見えるかもしれないが、実際には極度の貧困と不十分な社会的保護の結果として毎日不必要に死ぬ人々の数を過小評価している可能性がある。この計算はもともと2012年の世界保健機関からの「疾病負荷と死亡率の推定」に基づいていた。WHOによって「グループI」の原因として見なされている伝染病、母体、周産期、栄養の病気のみが分析の対象となった。これらの原因によるすべての死亡の96%は低中所得国で発生しており、大部分は予防可能であると考えられている。しかし、世界中の生命を脅かす剥奪の真の範囲は主流メディアによってほぼ無視されており、2020年初頭以降のコロナウイルスのパンデミックの結果として大幅に増加する方向に向かっている。この本が出版されると同時に国連は、紛争で傷ついた国に住むさらに1億3000万人の人々が飢餓の危機に瀕しているとすでに推定している。
モハメッド・ソフィアン・メスバヒはSTWRの創設者である。
編集協力:アダム・パーソンズ
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