• English
  • 日本語
  • France
  • Deutschland
  • Italy
  • España
  • Slovenia

世界人権宣言70周年、世界的な分かち合いおよび正義のビジョンを復活させる

STWR Adam Parsons
2018年5月17日

万人のための十分な生活水準への確立された人権を充足することの政治的意味合いはなんでしょうか。要するにそれは、前例のない世界規模の富と資源の再分配が必要だということであり、従ってその達成のためには、世界人権宣言第25条の国連の躍進的なビジョンが運動家によって復活されねばならないということです。


今年70周年を迎える世界人権宣言は、最も翻訳され世に知られた文書のひとつです。しかし、食糧、住居、医療、社会福利および基本的な経済保証を含んだ − 十分な生活基準への万人の権利を宣言するその25番目の条項の重要性について比較的僅かな人が認識するのみです。[1] 私たちのキャンペーン・グループ、シェア・ザ・ワールズ・リゾースィズ(STWR)が長い間提案してきたように、今が、それらの簡素な文章に明確に説明されたビジョンを取り返す時なのです。なぜなら、国内および国際法を通して法的拘束力および強制力のある一連の義務として第25条を実現することは、革命的可能性を含蓄するからです。

この主張の真実を理解するためにいくらかの短い歴史を概説する必要があります。1948年に世界人権宣言が国連総会によって導入されて以来、国連は、明確な法的強制力なしで人権を「促進し」「尊重する」以上のことは決して約束しませんでした。世界人権宣言は、いわゆる拘束力のある慣習国際法の一部を形成するかもしれず、どの政府であろうとそのなかの条項を侵害するなら、その政府に道徳的プレッシャーを与えるために使われ得る価値観に基づいた枠組みを整えます。しかし過去70年において、世界人権宣言の遠大な要求にその振る舞いを同調させる試みを本格的にしている政府はありません。

1966年、国連総会によって国際人権規約が最終的に合意されました。[2]それは、世界人権宣言を含み、その主要なふたつの「実現」条約は − 市民的および政治的権利に関する国際規約 (ICCPR)と経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(ICESCR)です。後者の規約は、(第22条から第26条、特に第25条に大きく反映されているように)世界人権宣言のなかに以前明確に説明された経済および社会権利について詳細に述べており、国際法のもとそれが拘束力のある法的義務の基盤を形成するよう意図されました。それでもそれらの規約の双方が、いかなる本格的な執行機関をも欠いており、取られた対処と「達成されたプログレス」についての定期的な報告を彼らが提出する唯一の条件のもと締約国がによって批准されました。[3]

経済的および社会的権利の排除  

公民権および政治的権利が(部分的、単発的であるにしても)世界的にますます実現されているかたわら、経済的および社会的権利の歴史的記録は快活さを殆ど失っています。これは、極貧および人権についての現在の国連特別報告者フィリップ・アルストンによって勢いを持って明らかにされています。人権理事会に提出された彼の最初の報告のなかでは、適切な法的認識および説明責任のメカニズムが整わない状態においては殆どの場合、経済的および社会的権利は排除されていると議論しています。[4] 実に、国家はそれらを唯の望ましい長期的目標でなくどの程度まで人権として扱っているのかさえを彼は疑問視しています。

アルストンによると、それらの本質的な重要性についての豊富な学識だけでなく経済的および社会的な広範囲に渡る憲法上の認識にもかかわらず、それらは「殆どの国家の法律と機関のなかで大部分が見えないままです」。世界で最も高い生活水準を持つ国家の多くもまた、立法上または憲法的な形でこれらの権利を認識するための提案を無視してきました。[5]

とりわけ米国は、執行方法に適するだろう「権利」という意味において、経済的および社会的権利が確立された人権だというアイデアを執拗に撥ね付けてきました。[6] 1977年にジミー・カーターによって署名された(まだ批准されていない)にもかかわらず、ICESCR条約の「ソフトロー」ステータスにチャレンジさえしたと悪評のある米政権も過去ありました。[7] 経済的および社会的権利を明らかに認識した他の条約を米国は批准したにもかかわらず、[8] 事実上それは、仕事、住居、教育および適切な生活水準への国民の権利を保護する義務がその政府にはまったくないと主張する唯一の先進国です。

面目を保つために政府らは、世界の極貧の削減における歴史的プログレスを指摘するかもしれませんが、それは、経済的および社会的権利の完全な認識に基付いた戦略を取り入れることなしに一般的に達成されてきました。しかし、今日、何百万人もの人々のためにこれらの権利が満たされていないというその規模は、どの道徳的視点から見ても道理にかなっていません。60%以上の世界人口が1日5ドル以下で生活するために苦闘していることを考えてください。この5ドルという額は、第25条に明記されている「十分な生活水準…健康および福祉」への権利を充足するのに理にかなっていると考えられる1日の最低賃金として、国連貿易開発会議(UNCTAD)が検討したものです。[9]

おおよそすべての政府が、第25条に謳われるように社会保障への基本的権利を認めている事実があるにもかかわらず、国連の国際労働機関はまた、世界規模でたった27%の人のみが包括的な社会保障制度へのアクセスを持っていると推定します。[10] 慢性的に栄養失調の人々が変わることなく増えるかたわら、[11] 貧困に関連した原因から毎日何万人もの人々が死に続けている事実は、万人が十分な生活基準への権利を持つというアイデアそのものに対する侮辱です。 [12] もちろん最も豊かな国でもまた、何百万人もの人々が不可欠なサービスおよび社会保護への限られたアクセスしか持たず、莫大な数の家族がホームレスであるか緊急食糧援助を求めています。

そのような事実は、第25条に表現された謙虚な熱望を実現することからどれほど私たちが外れてしまったかを実証しています。富および権力の目に余る格差は、世界の大多数派である貧困者に最低限の優先権と重要性しか与えない、世界経済の構造および働きに組み込まれているように見えます。その目的は基本的に、グローバル経済の成長の利益を強力な企業およびエリート勢力に保障するために機能する、富裕国によって支配される国際交渉のなかで決定されます。[13] その結果として、極貧を根絶するために必要な富を何倍も上回る富の年間増加の総合を持って、億万長者の数は前例のない比率で増え続けています。[14]

国外での社会経済権利の達成を尊重し支持する国家の義務は、国際法を主体としているかもしれませんが、最も影響のある多国間組織はこれらの同意された規範および基準を固守するためにチャレンジされていません。豊富な文献が、ブレトンウッズ機関、世界貿易機関および先進7カ国によって主に支えられた、このグローバル経済ガバナンスの仮想システムの発展途上国へのインパクトを調査しています。[15] 例えば、グローバル・サウスの殆どの国は、社会の最も恵まれない層を犠牲にした構造調整の実行によって債務返済を行うよう圧力をかけられてきました。民営化、市場の自由化、社会福祉の縮小、国際通貨基金および世界銀行のローン・プログラムの過酷な条件は、国家が人権の義務を充足する能力を幅広く妨げてきました。[16]

同時に、ここ数十年間の何千もの二国間条約および自由貿易協定の多くは、いくつかの根本的な点で基本的人権基準と矛盾します。[17] 特に、現在の国際投資システムは、多国間企業が「投資家対国家間の紛争解決条項」を通して政府の法的および政策決定に挑戦する権利をつくります。[18] それは例えそれらの決定が、社会的ニーズを充足し不平等削減などの持続可能な開発の目標を追求するために下される時でさえそうなのです。

恐るべき障害
 

このすべてが、自由化された、市場主導のグローバリゼーションの破壊的な社会的影響を相殺できる強制力のある国際法システムを通して、第25条を実現することにおける恐るべき障害を指し示します。このチャレンジは、経済政策立案において新たな方向を提唱する市民社会団体によってよく認識されており、2年以内に世界人口の80パーセント近くに影響を与えると現在予想される緊縮財政政策の巻き返しを持って始まります。[19]

従って、第25条を真に「不可分」「不可侵」および「普遍的」な人権にすることは、例えば、普遍的社会保護システムに投資する国々の能力を弱体化する不公平な租税政策を改革することを意味します。[20] それは、保健部門および他の不可欠な公共サービスにますます入り込んでいる、商業化の波を巻き戻すことを意味します。[21] そしてそれは、抑制の効かない金融部門の責任を問うための規制監督を意味し、[22] そして革新的な税制はもとより、生活するのに適切な賃金および労働者の権利を擁護するための国内における立法措置を意味します。

それはまた、要約すると、私たちの時代の優勢な経済的イデオロギー − 「富の創造」「経済成長」および「国際競争」に有害であるとして、経済的および社会的権利を不当に考えるイデオロギー − と対比して、すべての社会のなかで前例のない規模の富、権力および収入の再分配を意味します。

しかしその再分配の規模は、富および資源へのアクセスを拡大しない限り、発展途上国が国民の社会経済権利を果たすことができない現実を考慮すると、国境を越えて拡大せねばなりません。それは、国際社会からの実質的な協力および支援に依存します。そしてそれらの協力および支援は、もはや、戦略地政学的考察に基付いたのではない、あるいは民営化および「自由市場」開発モデルへの趣好を持って支出されるのでない二国間援助の形態をとるべきです。[23] 現在、低所得国は、一般市民の基本的ニーズの充足のために最高でも国内総生産の15%しか充てることができません。[24] それでも、2030年までに極貧「ゼロ」を達成すべきと合意されたグローバル・ターゲットにもかかわらず、さらなる効果的な援助を通して財政の穴を埋め合わせる助力をすることからドナー政府は程遠いのです。[25]

これは、第25条を達成することの膨大な政治的重要性を強調することに役立つのみです。なぜなら、資源の再分配を通してなんら意味ある方法で彼らの富を分かち合うよりむしろ、グローバル・サウスから富を搾取することを富裕国が好むことは明らかであるからです。すべての場所のすべての人のために、第25条の最小限の保証を保護することへもし政府の優先項目の新たな方向が根本的に設定されるなら、資源が利用可能であることを私たちは知っています。[26] 

確かに、1100億ドル以上と推定される、最近の米国とサウジアラビアの武器の取引に費やされた額のほんの一部だけでも、1日1ドル90セントの極貧ライン上に全員を持ち上げるために十分でしょう。[27] そしてもし、大企業による脱税を防止し租税回避地を撤去するために国際コミュニティが協調した行動を取るなら、政府は毎年何千億ドルをも人権擁護および公共サービス予算のために取り戻すことができるでしょう。[28] 従って、第25条を達成することは、チャリティの一形態としてただ援助の規模を拡大するということだけではありません; それは、経済正義を持ったより平等な社会で万人が尊厳のある生活を送るために構造変革が必要だということです。

人々の戦略に向かって

この点で、世界人権宣言の最も急進的な条項は、第25条だけでなく第28条でもあります。それは、その宣言のなかに提示されたすべての権利と自由が「完全に実現され得る」ところの「社会的および国際的秩序」の必要な取り決めを意味します。別の言い方をすると、グローバル・ガバナンスのさらに民主的構造に反映されるべきでもある、国家と地域の間の関係の劇的な調整なくして、世界経済のさらなる社会規制を達成することは不可能です。

なぜなら、正義と人権への規範的考慮が外交政策問題における戦略的協力に優先されない限り、国家がどのようにして、社会経済権利への敬意および国際法の不可欠な役割に根を下ろした新しい世界的社会契約を実現できるのでしょうか。[29] そして、国連が著しく改革されその元来の任務を成就するために権限を与えられない限り、どのように世界の公共財が世界のすべての人に公平にアクセスをもたらせ得るのでしょうか

その憲章の序文にはっきり説明されているように、「万人の経済的および社会的進歩の促進のために国際機構を使うこと」を国連は常に意図しました。しかしながらその観点から国連の役割は、「国益のための媒体として国連を主に使うことによって、5つの常任理事国と他の大国によって酷く縮小されてきました。[30]

グローバル経済ガバナンスにおけるその役割は、当初から意図的に弱められました;すべての重要な経済および貿易交渉は、国連システム外で行われます。そして、私たちが見てきたように、ブレトンウッズ機関および世界貿易機関は、国連の経済社会プログラムの基本的な人間の価値観からますます明確に異なってきています。[31] 同時に、人権および国際法の基準を保つ国連の能力は、真に効果を発揮するには余りに予算が小さく、経済的相互依存の欠落によって酷く制限されています。[32]

これらは、どれだけ簡素で控えめな言葉で表されていようと、なぜ第25条の人権が私たちの不平等な世界の不公平な構造および規則に大改革をもたらす可能性を秘めているのかという理由のいくつかに過ぎません。なぜならもしそれらの権利が世界の十分な人々によって声高に提唱されるなら、出現するだろう政治的変革を否定する余地はありません。それがなぜ私たちが、STWR最も重要な著書に提示されているように、すべての国で断続する大規模な抗議デモを通して、世界の活動家が第25条を共同で宣言することを呼びかけているのかという理由なのです。[33]

最も高い国際優先事項として第25条を達成する緊急の必要性について少なくとも熟考する義務が私たちにはあります。それは、明らかに各政府に任せておけない義務です。国連憲法は、「私たち人民は」を思い起こさせることでよく知られていますが、世界のすべての人のために社会的プログレスおよびより良い生活基準を促進するために国連設立時の理念を蘇生させることは現在、私たちにかかっているのです。世界人権宣言に明記された誓約の完全な実現のために決定的に政府が真剣に行動し始めるまで、今こそ、私たちが第25条を差し押さえ「人々の意思の法」として規定を取り戻す時なのです。[34]

 

[1] 70 Years: Universal Declaration of Human Rights #StandUp4HumanRights, www.standup4humanrights.org

[2] United Nations Human Rights Office of the High Commissioner (OHCHR), Fact Sheet No.2 (Rev.1), The International Bill of Human Rights.

[3] ECOSOC(国連経済社会理事会)は、経済的および社会的権利の実現に関して国連総会に勧告を与える役割を持つ。しかし、情報収集および締約国の非従順な振る舞いを超える、これらの権利の創造における真の「プログレスの達成」は皆無であった。いくつかの基準が国内の法制度に組み込まれた一方で、殆どの国家は、説明責任機構を持ってこれらの基準を人権に基付いた立法上の枠組みに変換することからは程遠い。

[5] Ibid.

[7] 米国は、キューバ、パラオおよびコモロと並んで、ICESCRを批准せず署名した国である。

[8] 例えば、人種差別撤廃条約など。多くの解説者が、経済的および社会的権利に関係した米国の二重規範について指摘している:米国は、それらの権利の基本的重要性を公式に認め、他国が世界人権宣言に明記された人権を尊重せねばならないと長い間主張してきた一方で、彼らの生活様式を特徴付ける物質的豊かさおよび浪費のレベルの高さにかかわらず、国家レベルの制度的および責任説明の機構をとおして国民のこれらの基本的権利を促進できないでいる。

[9] 1日5ドルの貧困線を用いて、国連貿易開発会議 (UNCTAD)は、東アジアおよび大西洋地域の人口のおおよそ3分の一の人々が極貧のなか生活する一方、中東および北アフリカではその比率は約50%である。最もショッキングなことに、サブサハラ・アフリカの人口の90%がいまだ1日5ドル以下で生活していることを割り出している。以下を参照:Growth and Poverty Eradication: Why Addressing Inequality Matters, Post-2015 Policy Brief No. 2, November 2013。また、世界銀行の統計によると、1日5ドルレベルの収入における貧困は、1981年から2010年までの間一貫して増加し、その時期約33億からおおよそ42億に上昇した。以下を参照:the PovcalNet website, data retrieved from http://iresearch.worldbank.org/PovcalNet/index.htm?1,0 [accessed 23 September 2015]

[10] ILO, World Social Protection Report 2014/15, Geneva, ILO, 2014, p. xix.

[12] The Wire, World hunger is on the rise again, 18 September 2017.

[13] For a good description, see Thomas Pogge, World Poverty and Human Rights: Cosmopolitan Responsibilities and Reforms, Polity Press, 2008, pp. 26-32.

[15] This theme is often elaborated by Noam Chomksy, for example see: The Prosperous Few and the Restless Many, Odonian Press, 1993, chapter 1.

[16] Kanaga Raja, IMF should abandon "failed policies", says human rights reporteur, South-North Development Monitor SUNS #8557, 20 October 2017.

[17] Alfred-Maurice de Zayas, “Statement by Alfred-Maurice de Zayas, Independent Expert on the promotion of a democratic and equitable international order at the 70th session of the General Assembly,” New York, October 26, 2015.

[19] Isabel Ortiz et al, The Decade of Adjustment: A Review of Austerity Trends 2010-2020 in 187 Countries, ESS Working Paper No. 53, International Labour Office Social protection Department, Switzerland, 2015.

[20] Asia-Europe People’s Forum, Global Social Protection Charter, July 2016.

[21] European Health Network, European action day against the commodification of health, 7 April 2018.

[22] Ann Pettifor, ‘The economic crash, ten years on’, Red Pepper, 8 August 2017.

[24] John McArthur, How Much Aid for Basic Needs to 2030? Some Very Coarse Numbers, The Brookings Institution, 6 February 2014.

[26] STWR、グローバルな分かち合いの経済に融資する、2012年10月、 www.sharing.org/financing

[27] 誰も1日1.90ドル以下で生活することがないことを保証するために十分な資金源を、発展途上国に提供するために必要な金額、年間660億ドルが、世界銀行によって推定された「貧困ギャップ」である。しかしながら、そのような貧困の基準は低すぎるという認識があり、貧困を根絶させることは金銭的な問題だけでなく権利の問題でもある:医療や光熱水供給と同様に普遍的な社会保護など。以下を参照:Global Policy Watch、Poverty eradication is possible with existing resources, but not with present policies, argues civil society at the UN, 11 July 2017Shanta Rao, Funding Needs for UN’s 2030 Development Agenda, IDN-InDepthNews, 28 May 2017. 

[28] Tharanga Yakupitiyage, ‘UN Must Fight Tax Evasion, Says UN Expert’, Inter Press Service, 25 October 2016.

[29] Richard Falk, The power of rights and the rights of power: what future for human rights?, Ethics & Global Politics, Volume 1, 2008.

[30] Hans-C. von Sponeck, Richard Falk & Denis Halliday, ‘How the United Nations should respond in the age of global dissent’, New Statesman, 15 March 2017.

[31] See the Bretton Woods Project, issues, human rights: http://www.brettonwoodsproject.org/issues/human-rights

[32] See Global Policy Forum: Background and General Analysis on UN Finance, https://www.globalpolicy.org/un-finance/general-articles.html

[34] モハメッド・メスバヒ、「世界の人々をひとつに結ぶ」、STWR、2014年5月7日。

Image credit: riacale, flickr creative commons